「学生STEP特別企画」と称して、北海道で活躍されているアーティストの方々にさまざまお話を聞いていく企画です。学生のみなさんの参考になれば、と思います。

第2回の今回は、北海道出身・在住の漫画家、また、道都大学で講師も勤めている いがらし ゆみこ先生にお話を伺いました。
 お名前とご職業は?
名前は、いがらし ゆみこです。
職業は漫画家です。
 絵・マンガを描き始めたキッカケは?
 漫画家になったキッカケは、高校の美術部の先輩が目の前でプロになったからなんです。
それで、”彼女ぐらい上手になればプロになれる”って目安が出来たのね。
 で、頑張ったんですよ。
 目の前よ〜!私が高校1年で美術部に入って、先輩が3年だったのね。

 美術部を覗きに行ったら、机に向かって、みんな木炭とかのデッサンしてるのに、机に向かってなんかカリカリ描いてる人がいて、覗いたら、B4位の用紙にマンガの男の子とか女の子とか、色んなポーズを組み合わせて2〜30個描いてるわけ。

 ちっちゃいのを全身で。一瞬でもう、目が止まりましたね!
 まず、マンガ家になりたいっていう人は、1番最初に描くのって顔なんですよ。
だから顔はどんどん上手になるんだけど、体とかがまだなかなか伴わなくて、顔は上手だけど、体は下手っていう人が、どんどん頑張って両方上手になって、プロになっていくんだけど、もうその人は全部上手だったの。

 で、どこにも投稿したことがないって言うんで、兼ねてから興味のあった別冊マーガレットが新人募集してるから、先輩応募したら?って言ったら入っちゃって。
もうもうもう、初めて描いたストーリー漫画で初めて入っちゃって。
それで、東京から編集さんが彼女を迎えにきて、その時私も先輩の家に呼ばれて、編集さんに会ったんです。
 もう目の前でプロになって上京したのねー。

 私も、(描くことが)嫌いじゃなかったから、むしろ好きでずっと、幼稚園からお絵かきはしてたの、で、なりたいって思って。頑張りました!!
 漫画家になる。職業にする事に対する不安などは?
 いろんな可能性って幼い頃にあると思うのね。

 小学校の頃なんかは、やっぱり学校の先生とか、幼稚園の先生になりたいとか私は文集で書いていたみたいで、中学校の時もまだ学校の文集で、学校の先生にはちょっとあこがれてたらしくて、なぜかっていうと、すごく良い先生にめぐまれてたのね。
 担任の先生全部大好きでした。

 小学校の先生なんか今でも交流あります。
 そう、で、やっぱりそういう素敵な先生に教えられて、先生っていう職業好きだったと思うのね。

 だけど、高校になったら、目の前で先輩が漫画家になっちゃって、ぶっとんじゃった
のね、そういう夢とかが。
 もう漫画家になるっきゃない!って思ったら、不安とかない!それしかないから。

 それになりたいわけだから、漫画家になるのに不安とか考えられる余裕なんかなかったですね。だから、不安って言うのは余裕があるから考えられるんだと思う。
 飛び込んで行くときは、余裕ないです。
 今、他の職業につきたいと思いますか?
 (道都で講師を勤めれて)今はうれしいです!大学で先生出来て。
 夢叶った!!先生になってるーって感じで。楽しいです。
 東京に出て、出会う人・環境は、北海道と比べてどうでしたか?
 すっごかった。17才で、高校3年の編入受けて、東京の女子高に1年間だけ3年生でいたんだけど、暑い!!!とにかく、もう暑くて、窓開けても風入らなくて、皮膚病になっちゃった。沢山湿疹出て、だから体調が、東京の暑さにまるっきり合わないわけ。生まれて初めて上京したわけだし。夏場はひどい目にあいました。

 今2001年に北海道に帰ってきて9年経つんだけど、もう微塵も行きたいと思わないですね、東京には。帰ってきてよかったーって!!
 だから東京に仕事があって行くと、日帰り。

 泊まっていけば?って友達に言われるんだけど、イヤなの。
 朝早い便で帰るなら、夜遅い便で帰ったほうが…
 それに東京は冷房も効きすぎてるからねー。
 建物の中に入ると寒すぎるし、外に出ると暑すぎるし。良いよー、北海道は。
 東京に出て、環境面では苦労したねー。
 逆に東京に出て、気づいた事とかよかったことは?
 やっぱり漫画家に会えた事。読者だったわけじゃないですか。

 だけど、編集部で会ったりとか、出版社のパーティーで会えたりとか。
 だからもう、手塚先生とか、石ノ森先生とか、ドラえもんとかオバQ描いた藤子・F・不二雄先生とか。藤子不二雄A先生にもお会いしたし、あと楳図先生とも、2人でグワシってやりながら街歩いたり、赤塚先生とも飲んだことありました。

 読者だった私に、漫画家としての栄養を与えてくれた先生方、皆さんに一通り会いましたね。これはね、上京しないと出来なかったと思う。

 漫画家にならなければ会えなかった先生方に、リアルタイムで会って!お話できました。
本当に、立続けに亡くなられてしまい悲しいです、若い頃には無理されてましたから。
 北海道に拠点を移されたのは、なにか特別な想いがあったのでしょうか?
 ずっと、いつか帰ってくるんだろうと思いながら、東京にいたの。

 だから東京にいたときも、北海道の空ってすごい好きだったんですよ。
 高い高層ビルじゃなく、見渡す限り360度緑みたいな。

 それがすごい好きで、東京に住んでたときも、比較的ビルの少ない練馬っていう所に住んでて、夕焼けみると、あぁって北海道の空を思い出してて、結構、望郷の念っていうのはあったんですよね。
 あと両親が、東京に私が上京し、結婚して子供が出来たときに、仕事と両立は大変だろうと、子育てのことで上京してきてくれたんです。その両親が80になったんです。
 で、なんかこう、東京で看取るのも可哀想かなーって。

 やっぱりふるさとで、晩年を送ってもらいたいなーという想いもあって、意を決して北海道に戻って来たんです!!良かった〜。ただいま〜!って。
 やっぱりねぇ、帰ってきて120%良かったと思ってる。

 目良くなったもん。緑見てるから!
 こないだ心配になって目の検査に行ったら、目が若いって言われました。
 こんなに使ってるのに!

 だから北海道で緑見ながら仕事するのは良いよね。目は大事ですよ!!
 やっぱり漫画家って、1に体力2に体力、3・4が無くて5に体力って位、体力だと思ってたけど、やっぱり体力だけじゃだめ。
 目も良くないと。絵が変わっていっちゃうのね。

 眼鏡が合わないと、裸眼でみたときに歪んでても、わかんなくなるから。
 やっぱり眼鏡ってのは大事だし、視力ってのは必要だよね。
 北海道へ戻ってきたことで、心境や仕事面での変化は?
 TVに出るようになりました。
 東京では絶対出なかったです。よっぽどじゃないと出なかったです。

 なぜかっていうと、子供たちが、やっぱり小学校とか中学校で、おまえんちの母さん昨日TVに出てたとか。なんかあるわけよ。
 だから、そういうのもあって、最初の頃はちょっと依頼があったら出てたんですけど、その内顔を出さないようにしてました。だから東京での写真って全部サングラス。
 すんごい人相悪いおばさんよ〜(笑)

 だから、札幌に来たら、結構指差されるようになっちゃいました。
 「あー」とか言って。「TVで見ましたー」とか、もう、そこらへんのスーパーマーケットに行っても、「TV昨日見ました」とかって言われます。
 20%OFFとか30%OFFとか、ラッキーと思って買ったのをレジ打ちながら店員さんに言われて、ありがとうございますとか言って。なかなか大変ですよー
 注目されて嬉しくないですか?
 いやー、どうなんでしょうねー。

 あんまりね、しょっちゅう声掛けられないけど、タレントさんの気持ちが若干分かるようになってきましたね。
 結構名前出てこないで「あーあー」って言われたりするのよー。
 指差しだけで名前思い出してから指差してくれれば良いんだけどね。
 イマ、北海道でアートの世界にいる学生たちに期待すること・アドバイスなど一言
 世界を目指してほしい!!!
 東京でのアートがすべてだったんですよね、私の時代っていうのは。

 もうデビューして40年になるんだけど、当時は東京に行かなかったら、なにも始まらなかったわけ。だから、猫も杓子も、なにかやるんだったら東京に行きなさいってなってたんだけど、札幌・北海道ってイマ、いろんな国から観光客来てるでしょ?

 特に東南アジア、韓国・中国・台湾、もっと東南アジアの方からも来てるのかな。
 そういう人たちが、憧れる所なわけよ。

 だからそこで育った子達は、そういう風に観光客が来てる国を見てほしいし、知ってほしいし、そこで何か仕事がしたいとか思って欲しい!
 すごい狭い枠の中じゃなくて、やっぱりグローバルな視野で、自分の未来っていうのを、作っていって欲しいなと思います。

 東京が全てじゃない。…と言いたいです。

プロフィール

いがらし ゆみこ

北海道 旭川市出身、札幌市在住。
高校3年のときに「りぼん」増刊号(集英社)に掲載された『白い鮫のいる島』でデビュー。
その後、「なかよし」(講談社)専属作家として活動。

代表作は『キャンディ・キャンディ』 『ジョージィ!』など。